ゲン鉄道
東京近郊の古い電車
これらは、本気で撮ったものではなく、ついでにスナップしたと言う、中学生のころの、カメラも悪く下手な東京近郊の電車の写真をまとめました。本来は綺麗で大きな写真がこの写真館の趣旨でもあるのですが、これらはそれに耐えられないので下手な写真でも「ノスタルジー」を呼び起こしていただければ、と思ってアップしました。 昭和35,36年が中心ですが、もう撮影年も忘れています。ひょっとしたらやや、新しい写真が入っているかもしれません。いずれにしてもネガは壊滅寸前か、既に失われたのも多くあります。 これらは団塊の世代が撮れた、ギリギリの古い写真です。なお車両説明は誤りが多いかもしれないことをご承知おき下さい。 |
■東武
東武鉄道の主力で、晩年は長距離の準急などに使われたモハ3210形です。大型2個パン(写真は後ろは上げていない)で、
前部下は台枠が露出したいかついスタイルだったのです。東武鉄道と言えばまずはこれを思い浮かべました。 西新井付近
昭和初期に生まれて、改造、改番を重ね、最後はモハ5420形として2両編成で佐野線を走っていた時だと思われます。行先板が読めません。
クハニ470形です(先頭は荷物合造車)。凄い車両がいたものです。柏駅の国鉄ホームから撮ったもので、野田線と思われます。
■西武
西武の是政線(現多摩川線)を走っていたモハ151形です。京王の鉄橋下をくぐって来ます。車両も全鋼製ですがガタガタです。
ここは競艇場前と北多磨(現白糸台駅)の間です。こんなところに踏切があったんですね。当時は電機牽引の貨物もありました。
ここは競艇場前駅です。腕木信号機が見えます。信じられない沿線光景でした。同じ151形です。
■京急
京急独立時代からの400形で、リベット打ち、150Wライト、木製窓が特徴でしたが、戦後の粗雑な作りで60年半ばには廃車となりました。
当時の逗子や浦賀は行楽地であり、京急は2扉セミクロスシートの行楽用車両を製造。デハ500とクハ550の二連で颯爽と走っていました。
一方、京急にも通勤客の波が押し寄せ、1953年に初代600形とは異なる3扉2両固定編成の通勤用電車を製造、そのトップナンバーです。
ここは国鉄とクロスする八ツ山橋を行く夕刻の急行730(700)形です。初のカルダン駆動、セミクロスシートの高性能車です。
久里浜工場の公開日でしょうか?或いは1000形発表記念?1000形はのちの最大保有車両となりました。いろいろな車両が見えます。
■江ノ電
江ノ電のポールの時代を3枚貼ります。これは303編成で(303-353)で藤沢行の後追いです。 急カーブ手前の鵠沼鉄橋にて
まだ地上ホーム時代の江ノ電・藤沢駅に進入する305編成(現在唯一の現役車)です。改造に改造を重ねましたが面影はあります。
連接車に改造される前の200形。この201も100形からの改造です。詳細は複雑すぎて説明できません.。 江ノ島駅進入の201-202です。
■東急
メタンガスが浮き出る汚い目黒川を渡る池上線です。東急旧型スタイルの原点だった3400形です。TKK、ツートンがいいですね。 五反田
デント、江田〜たまプラーザの江田寄りにあった短いンネルを出る4両編成の7200形。
80形、70形がどんどん来た東急玉川線用賀付近。パタパタ式で筆文字の行き先看板がとても懐かしいです。
雪の日の玉電渋谷駅。改札口の向こうが、山手線の外回りの入り口でした。これは40形ですが、行先板は落とし込みになっています。
■その他
営団日比谷線が北千住まで延伸され、丈の短いスカートを付けた初期形の3000形が来ていました。関東らしくない電車でした。
相鉄です。戦後の混乱期に小田急から譲渡された2000形2003号。改造改番で元の姿は全くなくなり、現在は事業用車で数両残っています。
この頃は6000形が幅を利かせ、7000、7500形が投入された都電青山車庫です。奥には1000形の廃車群が列をなしていました。
東京モノレールが開業したのは昭和39年。それ以前の昭和島基地の光景です。向こうは海で何もないところですね。
よくこんな場所に物資を運び、コンクリートの線路を複線で作ったものです。 可動式のポイントを多数製作中です。
この日は車両の公開日だったのかも。車内に入れる仮階段があります。でも一般客はいないし。飛行機は偶然?